久喜市の歴史は複雑です。なぜなら近代以降、何度も合併を繰り返して再編成が行われているからです。2010年に実施された久喜市と他の3町との合併は記憶に新しいところです。

久喜という地名が歴史に登場するのは戦国時代、古河公方の足利政氏が現在の本町6丁目に隠居し、甘棠院という寺院を構えたのが最初期となります。江戸時代にはこの地は米津氏が支配する「久喜藩」が誕生することになります。日光街道や常陸、下総への交通の便に恵まれていたことから、職人や商人が多く住む地域として発展しました。

近代に入ると1889年、町村制の施行に基づいて最初の合併が行われます。その際には久喜本町と久喜新町、上早見村が合併して久喜町となりました。

さらに戦後の1954年には久喜町と太田村、江面村、清久村が合併してさらに規模を拡大することになります。市制に移行したのは1971年。そして2010年、さらに鷺宮町、栗橋町、菖蒲町と合併して現在の久喜市となりました。そのため久喜市の歴史の元となった中心部のほか、合併した町村もそれまで多くの共通点を持ちながらも、独自の歴史を展開し続けてきたことになります。

そのほか、1783年には史上名高い浅間山の大噴火によって大きな被害を受け、それが現在史の風物詩となっている提灯祭りのルーツがはじまるきっかけにもなりました。また、1993年には東京理科大学の経営学部の久喜キャンパスが開校し、多くの若者が集まるようになりました。